ステチルの大学生

医学部に行ってます。

欲求と自己規制

 常に存在する各々の“欲求”。これのなすがままにされるのはもはや自己の支配下にある状態、いわば感情を2つもつダブランのような、優柔不断で常時葛藤を共にし、覇権を巡って争う内在化された紛争とも言えよう。自己規制というものは二極化された自己を統べる能力、上記のような事態に晒されない最善の術である。これを思うままに操れる猛者はそうそういない。それこそ欲求に打ち勝ち人間をも超えた存在、“神”なのだろうと筆者は思う。古来から欲を忍び、絶食に耐えるなどして自己の精神の統一化、はたまた自身の体を痛めつけることで精神浄化し、悟りを得る行為も行われた。あらゆる欲望を否とする彼らにとって、その末に死ぬことも本望であっったのだろうが(生きるための生理的欲求を完全遮断)、これでは現在の我々が苦悩するところからあまりにも外れているのではないか。そのようや低次の欲求など、生きる目的がある前提で成り立つため、彼らのように死後の世界を案じ、現世を生きる意味が希薄な場合は意味をなさなかったのでないだろうか。したがって中次・高次の欲求も無かったものと思われ、ある意味古来の人々は人間を超越した“神”的存在だったと言えよう。その域まで到達する必要は無く、我々は生きる意味を明確にし健全な生活を営むにあたって多少の欲求が必要である。要は多過ぎず、少な過ぎることなくこれらを規制することがミソである。“自己規制”こそが我々を形作っていると言っても過言ではない。「あらゆる欲求に打ち勝つ」必要はないのであり、逆に勝ってはいけないのである。人生の質を高め、意義のあるものにするために、今一度見直していく必要があるだろう。