ひきこもりの大学生

医学部に行ってます。

否定者としての3年間

 今頃、全国の国公立大学で前期試験が行われていることでしょう。受験生の皆さんが必死に問題を解いている最中に、私は高校3年間を振り返ろうと思いやーす。お願いしやーす。

 

 まず高校1年生の時ですが、言うなれば暗黒の時代でした。理由は主に以下の通りです。

▪部活動という(自称)進学校の闇に所属

定期テストと模試の順位はほぼ2桁

▪問題行動発覚

▪わしゅうごお〜

 まず私は高校1年の間ずっと、部活動という意味の無い活動に愚かにも従事していました。私が所属していたのはとある運動部ですが、謎に強いのもあり練習日程が鬼畜でした。日曜が休みというのは建前で普通にやってたし、休日は午前練でも8時から1時過ぎまでありました。平日も、冬は比較的早いですが、夏は7時過ぎまでやってました。あとは試合やらで休みがほぼありませんでした。その頃私は大して勉強熱心ではありませんでしたが、部活が終わって疲れた状態で勉強するのは精神的にきつく、その疲れを後日に持ち越すことで見事負の連鎖を築き上げていました。しかし私の周りはほぼ部活に加入しており、この状況に疑問を呈するようになるのはまだ先の話です。

 次に、一年生の時に受けたテストはだいたい2桁でした。二学期期末と三学期の駿台だけギリ1桁でしたが、残りは全部2桁です。2年になってから1桁をとるようになりますが、これは絶対部活をやめた成果です。

 次に、夏休み前に問題行動が発覚します。これは我が校始まって以来の大事件であり、生徒指導部総動員で事にあたりました。普通なら大逆事件で死刑になる所を、情状酌量もあって一週間反省文と罰掃除をさせられて終わりました。これが発覚した経緯ですが、何やら別の事件の捜査中に芋づる式に発覚していったようです。筆者に非はなく、チクった奴が100%悪いのはもはや自明であります。というか、そもそもネタにされるような顔や容貌をしている方が悪いです。

 「わしゅうごお〜」とは、我々の恐怖の対象です。此奴のせいで、数学に対する苦手意識が高まったかもしれません。幸いなことに、我が校の誇る敏腕教師「usedマッチ棒」のお陰で、数学を嫌いにならずに済みました。御二方は、3年進級時には居なくなりましたが、その面影は今でも脳裏に健在であります。

 

 高校2年生のBIGイベントは以下の通りです。

▪部活動、堂々退部す

▪初めて1位をとる

 ご存知の通り、高校2年の夏が我々のturning pointにあたります。周囲の反対を押しのけ、部活動という枠組みから堂々と退場しました。そもそも、私が部活に入ったのは完全なる流れであり、運動不足解消果ては息抜きになればと思った次第であります。しかし、それに尽力し過ぎて『学業』という高校生の本分を欠かすことになっては本末転倒であります。つまり、部活動の無意味さと学業の重要性を悟った者だけが、退部という合理的選択に踏み切ることができるのです。我々は早い段階からそれに気づいたため、残り一年半を有意義に過ごすことが出来ました。

 どうでもいいことですが、2年の冬に初めて学年1位を取りました。これが模試で1位とかだったら凄いかもしれません。しかし、私が1位を取ったのは冬休み明けテストであります。受験生になろうという時期に、早めの志望校対策や予習などに取り掛かっている人もいたと思いますが、私は冬休みの宿題とテスト勉強しかしていなかったと思います。つまり、このテストをガチで受けるような人は、私を含めそう居なかったと思われます。それでも1位だったことは事実なので、一生の美点にしていくつもりです。因みに私の学年には不動のトップが存在し、彼がテストというテストで毎回1位を取ってました。そのため私は定期テストや模試で凄く出来たとしても、良くて2位でした。そもそも彼は生来の天才であり、凡人の私がいくら努力しても勝てないenemyであります。

 

 高校3年のBIGイベントは以下の通りです。

▪医学部志望に変更

▪東大模試を受ける

▪校内推薦、謎に通る

▪面接と小論文

 まず、3年の7月に大幅に志望校を変えます。3年間を通して、○大工学部→九大工学部→阪大工学部→○大医学部 のように変更してきました。偏差値だけで見れば右肩上がりですが、最初と最後だけで見ると、同じ大学の工学部から医学部に志望を変更するのは、異例中の異例ではないかと思います。いかに進路に無頓着だったのかが伺えます。○は我が故郷ですが、身元バレするので書きません。学部変更した理由は、同ブログの「2020-07-30 医大行きてー」に記してあります。

 同時期に東大オープン模試を受けました。ガチで東大を目指す方々に紛れて、冷やかしに模試を受けるのはキモチエかったです。確か偏差値48というクソみたいな結果に終わりましたが、受けたことに意味があります。あの時だけ、私は東大志望の受験生だったと言えるでしょう。

 ご存知の通り、私の素行は最悪であり、反省文級の事件を2回起こしています。あと校内で早押しクイズしたのを見つかり、反省文を書かされています。(1年の時も見つかりましたが、man broken heartは見逃してくれました。最高!!!!!) この時点で推薦は絶望的であり、付加価値として挙げられる生徒会や委員会、部活動(3年間)への在籍もありませんでした。そんな人間を容易く通してしまう推薦会議というのも、所詮は無能の肥溜めだったということでしょうか。一時問題になったチート野郎は通らなかったそうです。ワロタwwwww

 それまで授業と課外以外で殆ど教師と関わることなく、また交流を避けるかのように過ごしてきましたが、それが叶わない事態に直面しました。それが、小論面接対策であります。これだけは独学ではどうしようもありません。不本意ながら先公の手を借りることになりましたが、面接はともかく小論文の指導に意味があったのかは未だに疑問です。因みに英語の小論指導はresembles emperorが担当でしたが、面倒だったので1回も行ってません。ワロタwwwwww

 

 以上が、私の3年間を要約したものです。この3年間は非常に濃いものであり、他人を批評したり嘲笑することを通して、多様な人々の人生観を否定して参りました。しかし、この否定者としての活動から得られたものこそ莫大であり、我々の人生を歩む上での反面教師として大いに活用できたと思います。そういう訳で、高校3年間で得た経験は何にも変えがたく、後の人生においても重要な財産となることを確信しています。

 

 最後にひとつ言わせて下さい。

 

 部活、それ意味ないからwwwwwwwwwwwwwwwww部活3年間やって入試で爆死した受験生、息してるかぁ〜?wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwその後浪人が確定した皆さん、ご愁傷さまでぇーすwwwwwwwwwwwwwwwwwいやーやっちゃいましたねー、バーカ!!!!!wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww