ひきこもりの大学生

医学部に行ってます。

桐島聡で考える左翼主義

  最近、約50年に渡って指名手配されていた桐島聡を名乗る男が見つかったというニュースで巷は賑わっております。彼の指名手配の写真は誰もが1度は見たことがあるのではないでしょうか。

f:id:establishWilson:20240129164133j:image

 そしてこの桐島聡を名乗る男ですが、残念な事に本日、死亡したという報道がありました。死因は末期の胃がんということです。長きに渡って日本警察の手から逃れ続けても、やはり病気には勝てないのがどんな天才にも起こりうる悲劇なのであります。(罪状はさておき50年も警察から逃げおおせたのは素直に感心します)  もし彼が自分の本名を明かさずに死んでいったとすれば、桐島聡という男は未来永劫その存在を隠し通し、自分が犯罪者だと誰にも認知させないまま人生の幕を下ろすことができたわけですが、そうしなかったのは何故でしょうか。彼が根からの極悪人であればそんな自分にとって不利益にしかならない事をするはずがなく、やはり彼の性状、はたまた50年という歳月が彼にそうさせるきっかけを与えたのではないかと筆者は推測しております。と知ったようなことを語っておりますが、実は筆者はこのニュースを見るまで桐島聡がやったことについて殆ど知りませんでした。桐島聡という男がどんな人物でどんな事をしでかしたのかをこの機会に調べてみたので、まずはそこから見ていきましょう。

 

 宗教とか思想家で逮捕されてる奴は、大体が大学生の時に唆されるなどして暗黒面に堕ちるのがお決まりのパターンです。桐島聡は広島県出身で、明治学院大学在学中に新左翼と運命の出会いをしました。その後日本の新左翼過激派である東アジア反日武装戦線に「さそり」班として参加し、1974、75年に起こった同組織による連続企業爆破テロに密接に関わったそうです。有名なのが東京銀座の韓国産業経済研究所のビルに時限爆弾を仕掛け爆発させた事件で、桐島はこの事件に対して指名手配されています。

 この東アジア反日武装戦線ですが、名前にある通りガチガチの左翼で、天皇の暗殺計画も企てていたそうです。ただ他の過激派とは異なり、表向きには社会人や学生として一般的な生活を送りながら事件を起こしていたそうで、特に桐島が指名手配されるきっかけとなった戦線メンバー7人の逮捕の後には、別組織の日本赤軍がクアラルンプール事件、ダッカ事件と呼ばれるものを起こし、戦線メンバー3人を含む新左翼11人が超法規的措置(人質交換みたいなもの)により釈放されています。この時釈放された大道寺あや子(東アジア反日武装戦線リーダーの大道寺将司と結婚、薬剤師として勤務していたため薬品を横領し爆弾を製作)、佐々木規夫(東アジア反日武装戦線では唯一の大学未進学。つまり高卒が起こした単純な事件)、浴田由紀子(山口県長門市出身、安倍晋三の父親である安倍晋太郎とも親交があった。つまり山口県民の面汚し)の3人は出国し、日本赤軍に合流した後浴田由紀子を除き逃亡中、国際指名手配犯となっています。

 またこの戦線には3つのグループが存在し、「狼」、「大地の牙」、「さそり」と呼ばれています。まあなんとも厨二心を擽られるネーミングでしょうか。ちなみに桐島聡が属していたさそりのメンバーには他に黒川芳正(山口県宇部高等学校を卒業、つまり私達の敬愛すべき大先輩)、宇賀神寿一(大学で学費値上げ反対闘争に参加して逮捕された小物)の2人がおり、彼等との大学での出会いが新左翼として日本での反権力闘争に足を踏み入れるきっかけとなったのでした。

 彼等に共通しているのは当然、現代社会(天皇が統制し、下層労働者が富裕層に搾取される資本主義社会)に対する不満を持っていることです。元来こうした現況の政治体制に対するデモというのは珍しいものではなく、逆に万人に理解と平和を享受できる社会を実現するのはかなり困難であるように思えます。こうした不満を、行き過ぎた理念と思想によって実現しようと試みる連中を「極左」と呼ぶようです。非公然・非合法武闘派テロ組織、それが東アジア反日武装戦線なのであります。しかし残念ながら、暴力は全てを解決するわけではありません。時代は非暴力・不服従であります。(100年前)

 

 さて、桐島聡についての理解が大分深まった所で本題に戻りましょう。彼は過去にこのような極左組織に属しており、連続爆破テロ事件を起こし指名手配されていたのですが、今回このような形で自らの存在を公にし、それも束の間に息を引き取ったのであります。そもそも彼は自国の有り様に疑問を呈し、暴力という強行手段でそれを変える道を選んだのですから、彼が逃走(闘争)をやめて自白したというのはつまり、この50年の間に日本という国自体が良い方向へ変わったと捉えることも出来るのではないでしょうか。例えば桐島聡の同志である宇賀神寿一は当時の下層労働者の置かれた環境を身をもって知っており、その際の警察(国家権力)の徹底した暴力的弾圧であったり、ヤクザとの鋭い緊張関係を目の当たりにすることで闘いへの道義性への確信を深めていったと証言しております。つまり力には力で対抗しなければならないという、よく考えれば道理にかなっていることをこの時悟ったのでしょう。それを踏まえれば、他国ではデモ参加者などに対して日常茶飯事な労働者の暴力的弾圧なんて現代の日本では以ての外ですし、労働者とヤクザ、国家権力の関係というのも近頃では意味を失ってきているように思います。つまり、桐島聡ら極左組織が実現したかった社会がもうそこにあると言っても過言ではないのではないでしょうか。変革の欲する所に左翼があるとすれば、誰も変革を求めていない社会に存在するのは右翼と私のような政治に何ら関心を持たない中立のみであり、闘争は起こらないのであります。

 

 つまり桐島聡は自らが人生の大半を費やしてきた闘争(逃走)運動に終止符を打つことが出来たということであり、文字通りの大往生だったということです。闘争や政治的弾圧でいがみ合って人を殺す時代は早々に終わらせ、内部から人を殺すがんなどの病気に一丸となって闘った方が、国としての予後も生命予後も良くなること間違いありません。桐島聡が伝えたかったのは多分そういうことです。(超拡大解釈)