ひきこもりの大学生

医学部に行ってます。

DaiGo氏の炎上について

 メンタリストDaiGo氏が問題発言をしたとして炎上し、SNSや報道機関を騒がせておりました。今やその炎も沈静化し多少燻っている程度でしょうが、真の平等主義社会である現代日本で差別発言をすることは断じて御法度であり、あの猛烈な非難を浴びた上での謝罪、活動自粛は相応の報いと言っていいでしょう。筆者は優生思想に反対の立場なので、DaiGo氏を批判する立場から意見を述べさせて頂きます。

 

 まず今回の一件がどういったものだったのかを説明します。DaiGo氏は自身のチャンネルにおいてリスナーから寄せられた質問に答える企画を行っており、DaiGo氏自身が独自の見解をもって意見したりぶった切ったりするわけですが、その応答の際に多数の問題発言がされたため、ああなったのであります。問題となったのがこちらであります。

 

◽︎自分にとって必要のない命は軽い

◽︎ホームレスの命はどうでもいい

◽︎ホームレスは邪魔だしプラスにならないし臭いし治安悪くなるからいない方がいい

 

 まず「自分にとって必要のない命は軽い」ですが、まあ真っ向否定できないのは事実であります。命の軽重こそもちろんありませんが、彼は「自分にとって」と言っているので、彼は主観的な言い分としてホームレスの命が軽いと思っており、その存在を軽視しているということが窺えます。ただ、この発言には抽象性を欠くため、非難の対象としては力不足であると感じます。なのでそう思うないしは述べること自体は大した問題になりません。(この発言単体だけなら炎上にならなかったと思います)

 次に「ホームレスの命はどうでもいい」発言ですが、まあこれが今回の騒動のネックとなるセリフでありましょう。どうでもいい、つまりどうなってもいい。生きていても死んでもいい。という主旨の発言であり、ホームレスは死んでもいいと言ってるようなもんです。

 この発言の根拠となるのが、「ホームレスは邪魔だし〜だし…だし◯◯だからいない方がいい」であります。つまり、ホームレスが社会全体にとってマイナスであると考え、それを存在意義が無いことの理由にしているのであります。一つ一つ見ていきましょう。まず「邪魔」ですが、確かに駅のホームや公園といった人々が集う場所でホームレスが散見されますし、何かをする訳でもなくずっと居座られるのは他の人の迷惑になると考えて間違いないでしょう。全員がとは言いませんが、他の人の通行や諸活動の邪魔になると考えて差し支えありません。次に「プラスにならない」とあります。ここでは社会の利益にならないと考えることにしますが、まあホームレスでも仕事を持つ人やそうでない人、何らかの生産性のある活動を行う人やそうでない人がいますし、一概にプラスにならないとは言えないのではないかと思います。ホームレスとは住む場所を持たない人を指す言葉であり、無職で生産性のない人を指す言葉ではありません。確かに、ホームレスの中には社会に実利を伴わず、与えられたものに対して社会への還元がない、生産性のない人もいます。これらの人はプラスにならないと言っていいですが、全員が全員そうではないということが言いたいです。次に「臭い」ですが、これはまた主観の強い表現であります。確かに、住む場所を持たない人というのは一般に生活に十分なお金を所持していない場合が多いので、入浴などもしていないイメージが強いものと思われます。入浴しなければ当然体は清潔でなくなり、臭くなるでしょう。さらに住む場所を持たない時点で、外界の人間から隔てられたプライベートな空間が確保できないことになりますから、多くの人々が歩いたり触ったりした場所に留まることを余儀なくされ、結果清潔さを保つことができなくなります。このように、自身の体が不潔になる要因が多すぎるため、臭いと思われても致し方ないものと考えます。最後に「治安が悪くなる」ですが、これは正直ピンと来ません。治安が悪くなるというのは犯罪が増えるということでしょうか。確かにホームレスは住む場所を持たざる者、言わば生活困窮者と考えて差し支えありません。そして、持たざる者が持つ者から奪うであったり、生きるために盗んだり殺す(生存本能)とかいう構図はいつの時代も各国共通であります。しかし、ここでこれらの是非を分けるのが、社会保障の有無であります。説明は割愛しますが、日本ではこの社会保障の中に生活保護という素晴らしい制度があるため、極論金がなくても食っていけるのであります。さらに日本には、健康で文化的な最低限度の生活とかいうのがあります(ただこれは見せかけだけの権利であり、ほぼ形骸化しております。今なおホームレスが跋扈するのが良い例です)。とにかく、社会保障さえ充実していれば誰でも盗んだり殺したりしなくても生きていくことが理論上可能となります。しかしこれと幸福感(満足感、充足感)はまた別の話になります。そのため持たざる者が持つ者から奪うという構図は致し方のないものであり、これらが犯罪率の増加を助長するものとなると想定することは、幸福追求権にも通ずる重要な懸念となります。まあ社会保障が無ければ多くの人が野垂れ死ぬことになりますから、生殺与奪の行使を真っ向否定できないのも事実であります。そのため、社会保障の充実した日本でホームレスが増えれば犯罪が増えると考えるのは、若干退廃的な部分も否めません。まあですが、追い詰められた人間がそういった行動に走るのは不思議ではありません。ここまで4つの因子「邪魔」「プラスにならない」「臭い」「治安が悪くなる」について考察しましたが、無理やりこじつけてもどれも世間一般が抱く固定観念の域を出ず、全てのホームレスに代表されるような代物ではないことが分かります。つまり、ここから「ホームレスがいない方がいい」と論を展開するのは甚だ自分本位であり、独善的であると言わざるを得ません。

 

 つまり、DaiGo氏の問題発言の主旨をまとめると、「ホームレスは邪魔だしプラスにならないし臭いし治安が悪くなるからいない方がよく、死んでも構わない」となります。つまり彼は生産性のない人間に生きる価値は無く、死んだ方がいいと考えているのであります。これはナチスを彷彿とさせる優生思想に他なりません。ヒトラー率いるナチス・ドイツユダヤ人を劣等人種として迫害しましたが、DaiGo氏も同じく使えない人間は死ぬべきであり、真に有用な人間だけがいればいいと暗に主張していると考えられます。こういった思想は現代日本の倫理観からすれば到底看過されるものではなく、生命の尊厳に関わる重大な冒涜であると言う他無いでしょう。彼は有名人で影響力も大きいため、自身の犯した過ちに深く苛まれ、反省し自粛する期間が必要です。その後再びインフルエンサーとして復帰した暁には、再びメディア等を通して、倫理観や節度を弁えた生産性のある諸活動に勤しむことが期待されます。

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