ひきこもりの大学生

医学部に行ってます。

昔書いた変な文章

尊王論
 
 各々が各々の思想とするものを持ち、どう考えようが何をしようが各人の勝手であります。それは人間、いや生あるもの全てに授けられた生まれながらの権利であり、これを蹂躙されることは自然の摂理に逆らうのと同値です。考えれば当然のことで、各人が手足を動かすのと同じくらい自然でそうあるべき権利を、現在の我々は大幅に制限されています。それは自由意志によるものでしょうか?
いえ、それは我々が幼少期に植え付けられた規範意識によるもので、我々が心底からそうあってほしいと願うものとは別のことです。そこに同種族であるヒト同士の関わりがある以上、我々は増長を極めた獣欲を抑え、偽りの本心で全く別の人格を以て生活行動を為さなければなりません。つまりは、精神-mindにリミッターを設けて法定速度を遵守した上で、自らの潜在能力の発揮を願うことも半ば忘れるように努めながらもよそよそしく振る舞うことが必要となります。一度しかない人生を、集団への帰属意識に囚われ自らの本願が叶わないまま我が灯火を燃やし切ってしまうのは、誰もが望まないことでしょう。しかし、人間がこのレベルまで栄えるに至った代償は、計り知れないものでした。
というのも、人間は脳の発達と引き換えに様々なものを犠牲にしましたが、その一つが自由意志の喪失にあります。より純度の高い人間であるほど、つまりより深く倫理観を持ち合わせた人間であるほど、自由意志の喪失は顕著に見られます。知性の低い動物は生理的欲求のみが原動力としてそれ自身を駆り立てていますが、人間本位の見方をしただけであって、本来生を授かるという意味は、子孫繁栄、つまり種を増やし繁栄することが主目的なのであって、獣欲や愛欲に塗れて生きようが何ら問題はありません。風紀を乱すという行為は、奨励されるべき行為と見なされ、』

 

 さて、この文章のどこに尊王論が絡んでくるか皆目見当がつきません。過去の私は途中で書くのを投げ出したようですが、多分自由意志の表れで各々が自身の欲求を優先した結果統制が取れなくなり、王という存在を共通して崇めさせることで混沌を取り持とうとしたということが言いたいのでしょう。自分で書いた文章なのにこうして分析しなければならないとは、まるで国学者のようであります。