ステチルの大学生

医学部に行ってます。

高齢者施設課題実習

日本では明治時代より教育の機会均等の概念が普及し始めましたが、これは現在となっても十分とは言えない状況です。ここで言う教育格差が、日本国民全員に等しい教育が享受されない状況を指しているものと定義するなら、その達成度は極めて低いと言わざるを得ないでしょう。
まず日本では9年間の義務教育制度のもと、全国民に小中学校における教育を受けることを課していますが、一見平等のようでここでも格差が生じています。例えば、公立と私立の違いがあります。これはペアレントクラシーの概念にも帰結しますが、富裕層などのような家庭もしくは子供の意思により私立小中学校への進学を決める者が一定数いる反面、大半の者は公立の小中学校へ行くことを選択、もしくは経済的背景から余儀なくされることになります。公立小中学校の運営は税金で回っているため、法人が運営する私立小中学校と比べて教育の質が劣ったり、融通が利かなかったりする部分が多くなります。ここでは大雑把に言えば富の所有に応じて公立・私立のカテゴライズがなされる傾向にあり、義務教育の時点で教育格差が始まっているということが言えます。
 次に高等学校ですが、これに関しては義務教育ではないため、一定数高校進学しない者もいます。これらは上記に示した設置区分に関しての格差に加え、各高校が偏差値という指標で分けられているということもあり、メリトクラシーの概念にも帰結します。これは個人の持っている能力によってその地位が決まるというものであり、学力によって高校の偏差値が決まり、その偏差値によって大学受験の対策を含めた受ける授業の内容も変わることも考えれば、それは教育格差であると言わざるを得ません。ただ、ここでは工業系や商業系の高校のように選択的に受ける特殊な教育形態に関して、その如何は問わないものとします。
 ここまでの話を総括すると、教育格差が生じる要因としては、経済的背景と個人の能力の大きく2つが挙げられます。この2つの要素に恵まれれば、将来は社会的・経済的に安定する傾向が高まります。すると、その子孫は同じく経済的に恵まれた環境で過ごすことになり、教育の機会、つまり個人の能力(学力)を伸ばすのに適した環境を獲得しやすくなります。逆も然りであり、経済的・能力的に恵まれない者は代を重ねても低階級から脱却できない傾向が強まると言えるでしょう。これはアリストクラシーの概念に帰結するもので、日本が律令国家であった時代の「蔭位の制」に通じるものがあります。上流階級の子孫は同じく上流階級になるための地盤が予め与えられているというものであり、この個人のスタート地点が平等でない限りは教育格差の是正は困難であると言えるでしょう。多少暴論になりますが、日本国家が各個人で所得を形成していく資本主義という形態にある限り、教育格差は消えないものと考えます。学校法人の廃止や高校・大学の偏差値区分の廃止をしない限り、貧富の差があればこれまでに挙げた教育格差は必然的に発生します(廃止したとしてもそれが社会的・経済的地位に影響しないとは言えない)。かといって所得の再分配を行って貧富の差を無くすような社会主義は愚の骨頂であり、決して奨励されるべきではありません。それこそ為政者がいる限り真に格差が消えることはなく、まず世論がそれを許さないでしょう。教育格差、むしろ格差は人間が人間である限り無くならず、それをどう穏健に対処するかが肝心であるように思います。