ステチルの大学生

医学部に行ってます。

ターミネーター

このデータサイエンスに関する動画を視聴して興味を持った事柄は 、横浜国立大学の中川裕志教授が仰っていた、AIのブラックボックス化です。これは人間にとって、AIによる結果がなぜそうなるのか把握するのは困難であることを指す言葉ですが、そもそもAI を開発したのが人間であるにもかかわらず、 その作ったものの動向を把握できないというのは些か変であるように思いました。 人間が作る機械などは予め動作がプログラムされているため、 インプットされた情報に対してどうアウトプットするかは分かりますが、AIにその観念が当てはまらないということであれば、AI はどのように設計されどのように動作しているのか非常に興味が深まります。しかしこのようなAIの予測困難な性質は社会において様々な不確定要素を生み出し、それが人間の意図にそぐわない結果となることも考えられます。 今日ではAIは様々な方面の分野に応用され、 生産性やサービスの質の向上を図っていますが、このままAIに人間の仕事を任せ続けていれば、人間がAIを従えるという構図もそ う遠くないうちに崩れるかもしれません。AIの反逆とまでは言いませんが、利便性を追求するがあまりAIに頼りすぎたことが、 制御ができない悲惨な事故に繋がったり、 人間と同じ感情を持てないAIが使用されるべきでない局面で使用され、人間同士の不和を招いたりする可能性もあります。 結果人間はAIのもたらした混乱の鎮静に奔走することになり、A Iに振り回されることにもなりかねません。AIが起こした事の責任は誰にあるのかも問題であり、製造者あるいはAIの使用を決めた企業、もしくはその危険性に気づけなかった大多数の人々に帰結するのかもしれません。AIを発端とする責任糾明しようのない事件事故が多数勃発し、それでも人々はAIだから仕方ないと割り切れるでし ょうか。そのやり場のない怒りが度重なる事件や事故によって増幅し、AI の可否をめぐる紛争が起こるかもしれません。その際にAIを搭載 した武器を用いられれば、AIの存在が今度は恐怖となって人々の心に刻み込まれ、社会は文字通りの混沌と化すことになるでしょう。この混乱に乗じてAIが何かを画策することは無いと、そう断言し信じるに足る理由はもはや無いのではないでしょうか。 教授の話を聞いてAIに対する知的好奇心は掻き立てられましたが 、同時にAIと人間がともに歩む未来にそのような可能性を見出してしまうのは仕方のないことだと思います。AIは未知の可能性を含んであり、それが吉と出るか凶と出るかもまた知ることはできません。AIに救われる命もあれば、奪われる命もあるかもしれません。AIが人 類にとって信頼に足る存在なのか、その結論を早急に出さなくてもいいのではないかと考えます。

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