ひきこもりの大学生

医学部に行ってます。

レポート7 解剖について

 解剖と聞くと、非常にグロテスクな印象を受けます。我々は普段生き物の外側しか見ないのであり、普通生きている以上は体の内側を見る機会は無いのですから、体の内部を覗き見る解剖という行為に対して若干の恐怖を覚えることは否定できません。好きでやろうとは決して思いませんが、医師を選んだ以上避けて通ることができない道であることは重々承知しています。そもそも人の体を切り開こうという能動的な試みは医学以外には無いのであり、これが医療従事者を目指す人間として特別に与えられた機会であると捉えると、解剖を拒むような医師に生産性は皆無であり、消極的な姿勢で臨むのは使用させてもらう遺体に対して失礼であると言えます。医療に携わろうとする者としては、不要な感情を追い払い医学的探究心をもって積極的に取り組みたいと願っていますが、なんせ初めてのことですから実際にどういった印象を受けるか想像がつきません。しばらくは胃が肉を受け付けなくなるかもしれませんし、トラウマ級の衝撃的体験を味わうことにもなり得ます。しかし、それを超えてこそ得られるものは沢山あるでしょう。日本では江戸時代に杉田玄白らが死体の解剖を行ったことで、それまで知られていたものとは違う人体構造の詳細が明かされました。それまで忌み嫌われていた解剖という行為を彼らが身をもって実践したことで、日本における画期的な発見をすることになったのですから、実学的行為の表面だけを見て非難する、ある意味で宗教的な観念が学問の発展を阻害するような歴史は総じてナンセンスであり、非常に残念と言わざるを得ません。実際、自分の体の構造を知りたいという知的好奇心は恐怖心を相殺する程に強いものであると認識しています。

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