ひきこもりの大学生

医学部に行ってます。

マインクラフトは仏ゲー

 老若男女を問わず愛される大ベストセラー「mine craft」をご存知でしょうか。このゲームの最大の特徴は、その自由度の高さにあります。1m³のブロックを使用してほぼ何でも再現可能であり、その種類豊富な直方体を駆使して何でもかんでもやり放題であります。建築・採掘は元より、mobとの戦闘やネザー・エンドなどの異世界探索、農耕・漁労・狩猟・採集など、まるで縄文時代のような暮らしから戦国時代のような熱き合戦まで幅広く堪能できるという優れものです。そうは言ってもマンモスのような巨大獣はおらず無抵抗な牛・豚・鶏ばかりですし、もちろん火縄銃や集団戦法も使えず、剣と弓を駆使したあくまで1対複数の圧倒的不利な戦いを強いられることになります。しかも気がついたら爆発して殺してくるような奴がいたり、大人より子供ゾンビの方が強かったりと、一筋縄ではいきません。そのような不条理に苛まれながらも、何度でも甦るこのtoughness、現代人の我々も見習いたい所であります。

 本来ならば「mine craftは神ゲーだ」と言いますが、生憎そう呼ぶことは叶いません。その場合の「神」の対象は製作者であり、彼らの作り込みやセンスを賞賛すべく使う言葉でありますが、mine craftにおいては製作者は仮にもNotchであっても、創り上げていくのはプレイヤー自身であります。つまり、プレイヤーが神なのであり、そのプレイヤーの一人一人を神と崇め奉ればキリがありません。そこで製作者側を「仏」とするこで、mine craftを「仏ゲー」であると言うことができます。神と仏のどちらが上であるかは人それぞれであり、神仏習合するか否かも人それぞれです。彼らが我々神に干渉してくる、つまり下界に下りてくるのはアプデの時くらいで、普段は彼岸にいます。我々神にはそれを受け入れるか否かを決定する権利はもちろん、世界を生成・改変・消去する全権を握っているので、だれも逆らう者はいません。この後光の差す眩き姿、森羅万象に恐れを為させ丸め込む気質、世界の頂点に君臨する唯一無二の絶対的支配者に楯突く者は一人残らず屠り去られることとなる。